先日とあるパフォーマーとの会話のなかで、アイディアを形にする時には「これとこれを掛け合わせるとどうなるんだろう?」という純粋な興味が出発点であるという話があり、私は実演家の言葉として興味を持ちました。 知的好奇心が創造力の原点になることは歴史的にも疑いはありませんが、好奇心やアイディアの面白さだけを重要視する現代の傾向に私は懐疑的です。好奇心とアイデアさえあれば誰でもできてしまうかのような印象を与えかねないですし、プロとアマの境界線を曖昧にする要因にもなると思います。今回出会ったパフォーマーが、アイディアの面白さや新しさだけではなく、それらの追求による膨大な試行錯誤と、必要な技術の習得によって成立させていることはパフォーマンスを見ても明らかでした。「プロフェッショナル」と言われる領域にいけるかどうかは、この知的好奇心を実践的な行程の中で抱き続けれるかどうかなのだと思います。
2024/12/30
2024/12/24
なんとなく症候群
なんとなく決める、ということは多くの人々が日常的に経験していることだと思います。特に現代ではこの「なんとなく」が好まれる傾向にあると感じていますが、ここに人間の成長を考える上でとても危険な要素が含まれているのではないかと私は考えています。 もっとも問題だと感じる点は、自己の責任において自覚的に決定する過程を通過しないことです。「なんとなく」では、選択肢の中から一つを選び、決定する基準が曖昧になる為、ある意味、楽に取捨選択をすることになります。これは裏を返せば思考の過程を放棄することでもあるのです。これが常態化すると目的を達成するための工夫や挑戦自体が弱まり、人間力とも言うべき生きていく力が弱くなるのだろうと思っています。無自覚に出現する「なんとなく」の病には、自覚性を持った「大人の責任」がもっとも効くのではないでしょうか。
2024/12/16
現場経験
技術の進歩によって様々なことが簡単にアウトソーシングできてしまう現代では、精巧に作られたマニュアルによって社員教育ができると考える企業も珍しくありません。現場経験の重要さについては多くの人が語るところですが、「現場」という言葉自体「経験を積む場」という程度でしか語られず、その実態についてはあまり触れられていないのではないかと思います。
そこで、私は「現場」の中にある「現在性=今」を強調することで実態に触れることができるのではないかと考えてみました。人や物、環境など様々な条件の中で現実と向き合う時間的、空間的な場所が「現場」であり、そこで「現在性=今」に注目することで必然的に自分以外の他者への視点が生まれてくることが現場意識ということなのではないでしょうか。
2024/12/08
わかることとできること
MMSTの稽古で「わかることとできることは違う」という話がよく出てきます。言葉通りの意味ですし、私自身も初めてこの話を聞いた時に当たり前のことだと思いました。そう考えているにも関わらず、私は「先ずはわかること」からがスタートだと考えていることさえあります。この二つを考えていくと私自身は禅問答をしているような気分に陥ります。
一方で、できる=実現する人がこだわっているのは単刀直入に「できること」、だとも聞きます。考えたり理解したりすることがよくないのではなく、本来は関係がない「わかること」と「できること」をなんとなく繋げて考えていることが間違いのもとだったのかもしれないと考えると、「わかる」と「できる」が違う、ということについての捉え方が変わってきました。 「わかる」ことの思考と「できる」ための取り組みの思考との関係を断ち切ることから意識を切り替えようと思います。2024/12/01
異なる価値観との遭遇
先日、韓国、台湾、日本の演劇関係者が韓国釜山に一堂に集い、3つのチームに分かれて各チーム一つの作品づくりをおこなうというプロジェクトに関わりました。自国とは違う文化、生活スタイルを持つ国の人々との創作現場は、想像する以上に異なる価値観との出会いがあります。演出家にしても俳優にしても現場を共にする各言語の通訳者やスタッフら、それぞれが持つ考え方やスタンスが違うことはもちろん、その中であらためて自分の立ち位置や価値観を捉え直す機会でした。異なる価値観の遭遇というのは、結局のところ他者性ということなのだと思います。今回の創作現場の中で、自分とは違う「他者」がリアルに存在しているという実感、そして色んなことを考える「他者」が複数人いて、その中でどういうコミュニケーションを取り、一つの作品をつくりあげていくのかを考え続けるプロジェクトだったと感じています。