2024/12/08

わかることとできること

MMSTの稽古で「わかることとできることは違う」という話がよく出てきます。言葉通りの意味ですし、私自身も初めてこの話を聞いた時に当たり前のことだと思いました。そう考えているにも関わらず、私は「先ずはわかること」からがスタートだと考えていることさえあります。この二つを考えていくと私自身は禅問答をしているような気分に陥ります。

一方で、できる=実現する人がこだわっているのは単刀直入に「できること」、だとも聞きます。考えたり理解したりすることがよくないのではなく、本来は関係がない「わかること」と「できること」をなんとなく繋げて考えていることが間違いのもとだったのかもしれないと考えると、「わかる」と「できる」が違う、ということについての捉え方が変わってきました。 「わかる」ことの思考と「できる」ための取り組みの思考との関係を断ち切ることから意識を切り替えようと思います。

2024/12/01

異なる価値観との遭遇

先日、韓国、台湾、日本の演劇関係者が韓国釜山に一堂に集い、3つのチームに分かれて各チーム一つの作品づくりをおこなうというプロジェクトに関わりました。自国とは違う文化、生活スタイルを持つ国の人々との創作現場は、想像する以上に異なる価値観との出会いがあります。演出家にしても俳優にしても現場を共にする各言語の通訳者やスタッフら、それぞれが持つ考え方やスタンスが違うことはもちろん、その中であらためて自分の立ち位置や価値観を捉え直す機会でした。異なる価値観の遭遇というのは、結局のところ他者性ということなのだと思います。今回の創作現場の中で、自分とは違う「他者」がリアルに存在しているという実感、そして色んなことを考える「他者」が複数人いて、その中でどういうコミュニケーションを取り、一つの作品をつくりあげていくのかを考え続けるプロジェクトだったと感じています。

2024/11/25

リーダーになる人

 チームで動く時、大抵リーダーになる人が出てきます。「リーダー」というと、率先して動き、チーム全体を引っ張る役割、能力をもつ人を指しますが、このリーダーができる人は限られています。学生時代から考えると、明るく、人に好かれ、誰もがムードメーカーだと思うような人がリーダーになるのだろうと私自身は思っていました。しかし、実際にリーダーになっている人の行動を見ていると、それは「役割」を引き受ける人なのだと思うようになりました。決して元々そういう能力があるからということだけでなく、チームにとってこういうことが必要だ、そのためにこういう存在の人がいる、ということを察知し、その役割を最後まで担える人が結果「リーダー」になっていると思います。自分にはリーダーの器があるかどうかを考えることは不毛であり、社会の中でも、小さな集団の中でも、その集団にとって必要な役割を引き受けられるかが必要だろうと思います。

2024/11/17

実現する力

多くの仕事を抱えればかかえるほど、一つの作業にかける時間が少なくなります。仕事だけに集中できる場合はまだいいのですが、日常生活などの別の要因も含め、時間が取られる場合も少なくありません。こうなると、多くは様々な理由をつけて抱えている仕事のうちどれかを手放したり、諦めたりします。一方で、どんなに大変なことがあっても、多くのことを実現してしまう人もいます。その人の行動を注視すると、一つのひとつのクオリティを下げて対応しているというよりは、作業スピードを上げている場合が多いようです。MMSTのトレーニングでも同様のことがよく言われます。「やることはむしろ増やす」「スピードを上げて、(やるべきことは)全てやる」これをやることはとても難しいのですが、実現する力はこのことを積み重ねられるかにあるようです。できない理由を見つけることは簡単ですが、何より「実現する」という目的をぶらさないようにしたいと思います。

2024/11/10

意味の理解と感覚の理解

 他国の人々と一緒に何かをやろうという時、共通言語がない場合は、先ず言葉の壁を感じることが多いと思います。伝えたいことの意味を辞書やアプリで調べたり、ボディランゲージを使ったり、様々な方法で意味を伝えようとします。一方で、「相手の話している内容はわからないが、怒っていることは分かる」というようなことを一度は体験したことがあるのではないでしょうか。人間は、相手のしぐさや話し声のトーン、目の動き方など言葉だけではない多くの情報を受け取り、状況を把握していることは明らかです。殊に演劇は、言葉や体を使います。言葉も重要な要素の一つですが、その言葉の意味だけでは説明のつかない感覚を、俳優の体を通して具現化する芸術だと思います。そこに面白みがあり、古代ギリシャから続く演劇の叡智だと思います。

2024/11/03

来た時よりも美しくの精神

 自分たちが使用した場所を去る時、「来た時よりも美しく」という態度や考え方は重要だと思います。次に使う人への気遣いそのものが人間の精神的な修行にも通じるようです。 稀に、自分たちさえ良ければいいや、という人もいますが、その態度がまわりまわって日本、さらには世界をダメにしていくのではないかと思います。この「自分たちさえ」という考え方は、いわゆる“子ども”の態度であり、いつでも守ってくれる親兄弟の中でしか通じないはずです。少なくとも、次に使う人への想像力と気遣いがあることが大人であり、そのような“大人”が多い社会が、どの分野においても発展を支えるのだと思います。この他者への想像力、意識をどれくらいもてるか、また、実際に行動に移せるか、とても簡単なことのように思えますが、なかなか実現したり継続することは難しいことです。少なくとも大人の態度として、日々の生活の中でも心掛けたいと思います。

2024/10/28

言葉と空間

私は韓国や台湾など他国の演劇人と一つの舞台を創作する現場によく立ち会うことがあります。複数の違う言葉が舞台上で会話されるような作品である場合、同じ言葉を話す者同士の会話のようにスムーズにいきません。台本を頭から順番にやりとりしてもうまくいきませんし、相手の台詞を丸暗記すれば良いというものでもありません。

一方で、たとえ言葉の意味がわからない状態でも、相手の俳優が今どういう状態なのか、呼吸や体を各所のアンテナとしてつかって、関係性や空間が意識されつづけている舞台では、観客もなぜか引き込まれたり、集中できたりします。この時に客席も含めた劇場空間全体で非日常的な感覚が共有されるのだと私は思います。言葉(台詞)は、舞台の魅力の一つには変わりませんが、意味内容を伝えるものだけではありません。俳優が言葉を使用して目には見えないが確実にある関係性を生み出し、観客を巻き込む空間をつくり出しています。


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