2025/01/19

迷いの時間

やることが多かったり、スピードを求められる現場において、時間をかけずに判断し適切な結果を出している人が社会には一定数います。私はむしろ必要以上に時間をかけて悩んだり考えたりしてしまうため、そういった人たちの「時間をかけない判断力と実行力」に強い憧れを持っています。そもそも、そのような違いは何処から生まれるのでしょうか?

私自身の経験から考えると、その場の状況や周囲とのリアルな関係意識よりもまず「間違うかもしれない」という内部にある不安が先に立ち、結果、判断や決定に時間がかかっているように思います。一方、前者は、そのような内的な不安よりも「スムーズな進行」や「相手や自分にどのような影響を与えたいか」といったリアルな目的とそれに伴う価値判断がはっきりしているように感じます。「迷いの時間」が増えていると感じた時には、自分は何を目的としているのか、という足元をしっかりと固めた成功のイメージを抱くよう心がけてみたいと思います。

2025/01/12

「浮く」話

 MMSTの稽古では、俳優が体の中心となる軸や重心、そしてそれを基にした演技についての考え方がゆるんでしまうことを「浮いている」と言います。浮かないようにするためには、それらへの意識を強く持てば良いことではあるのですが、そう簡単な話でもありません。そもそもなぜ浮いてしまうのでしょうか?

 浮いてしまう大きな原因の一つは、無意識のうちに違うことに気を取られてしまい優先順位が変わってしまうことにあります。特に一度に多くのことをやらなければならない場合に起こりがちです。それはタスクが増えると、できるだけ早く処理するために自身が理解できる見えやすい方から対処してしまうからです。これを回避するには、意識や対処スピードをできるだけ早くし、基点を見失わないスキルが必要になります。そして、私にとって超えなければならない最も厄介な課題は「浮く」ことを恐れずに前に進む強い精神を持つことです。

2025/01/05

相手が何を知らないかという視点

 人に何かを伝える時に、私は相手が持っている情報について、ほとんど意識せずに話をしてしまう時があります。ある時、「そのことは知らないからいきなり言われても分からないよ」と指摘されたことがあります。

「相手が知らないという視点がない」、言われてみれば簡単なことのようなのに、なぜその視点を落としてしまいがちなのか?

自分を振り返ると、相手に伝わっているかどうかよりも、自分の言いたいことの優先度が高くなっている場合に起きていると思います。これは、究極的にほとんど相手が必要ない状態です。自己内省を多く繰り返してきた人は特にその傾向が強くなるのではないでしょうか。聞く相手が自分であるため、前提が「知っている」状態で話がスタートしていることになります。これを改善するには、他者の存在に優位性を持たせる必要があります。他者もそして実は自分のことも「わからない」という前提から考えることに立ち返りたいと思います。

2024/12/30

知的好奇心

先日とあるパフォーマーとの会話のなかで、アイディアを形にする時には「これとこれを掛け合わせるとどうなるんだろう?」という純粋な興味が出発点であるという話があり、私は実演家の言葉として興味を持ちました。 知的好奇心が創造力の原点になることは歴史的にも疑いはありませんが、好奇心やアイディアの面白さだけを重要視する現代の傾向に私は懐疑的です。好奇心とアイデアさえあれば誰でもできてしまうかのような印象を与えかねないですし、プロとアマの境界線を曖昧にする要因にもなると思います。今回出会ったパフォーマーが、アイディアの面白さや新しさだけではなく、それらの追求による膨大な試行錯誤と、必要な技術の習得によって成立させていることはパフォーマンスを見ても明らかでした。「プロフェッショナル」と言われる領域にいけるかどうかは、この知的好奇心を実践的な行程の中で抱き続けれるかどうかなのだと思います。

2024/12/24

なんとなく症候群

なんとなく決める、ということは多くの人々が日常的に経験していることだと思います。特に現代ではこの「なんとなく」が好まれる傾向にあると感じていますが、ここに人間の成長を考える上でとても危険な要素が含まれているのではないかと私は考えています。 もっとも問題だと感じる点は、自己の責任において自覚的に決定する過程を通過しないことです。「なんとなく」では、選択肢の中から一つを選び、決定する基準が曖昧になる為、ある意味、楽に取捨選択をすることになります。これは裏を返せば思考の過程を放棄することでもあるのです。これが常態化すると目的を達成するための工夫や挑戦自体が弱まり、人間力とも言うべき生きていく力が弱くなるのだろうと思っています。無自覚に出現する「なんとなく」の病には、自覚性を持った「大人の責任」がもっとも効くのではないでしょうか。

2024/12/16

現場経験

 技術の進歩によって様々なことが簡単にアウトソーシングできてしまう現代では、精巧に作られたマニュアルによって社員教育ができると考える企業も珍しくありません。現場経験の重要さについては多くの人が語るところですが、「現場」という言葉自体「経験を積む場」という程度でしか語られず、その実態についてはあまり触れられていないのではないかと思います。

そこで、私は「現場」の中にある「現在性=今」を強調することで実態に触れることができるのではないかと考えてみました。人や物、環境など様々な条件の中で現実と向き合う時間的、空間的な場所が「現場」であり、そこで「現在性=今」に注目することで必然的に自分以外の他者への視点が生まれてくることが現場意識ということなのではないでしょうか。

2024/12/08

わかることとできること

MMSTの稽古で「わかることとできることは違う」という話がよく出てきます。言葉通りの意味ですし、私自身も初めてこの話を聞いた時に当たり前のことだと思いました。そう考えているにも関わらず、私は「先ずはわかること」からがスタートだと考えていることさえあります。この二つを考えていくと私自身は禅問答をしているような気分に陥ります。

一方で、できる=実現する人がこだわっているのは単刀直入に「できること」、だとも聞きます。考えたり理解したりすることがよくないのではなく、本来は関係がない「わかること」と「できること」をなんとなく繋げて考えていることが間違いのもとだったのかもしれないと考えると、「わかる」と「できる」が違う、ということについての捉え方が変わってきました。 「わかる」ことの思考と「できる」ための取り組みの思考との関係を断ち切ることから意識を切り替えようと思います。

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