私は韓国や台湾など他国の演劇人と一つの舞台を創作する現場によく立ち会うことがあります。複数の違う言葉が舞台上で会話されるような作品である場合、同じ言葉を話す者同士の会話のようにスムーズにいきません。台本を頭から順番にやりとりしてもうまくいきませんし、相手の台詞を丸暗記すれば良いというものでもありません。
一方で、たとえ言葉の意味がわからない状態でも、相手の俳優が今どういう状態なのか、呼吸や体を各所のアンテナとしてつかって、関係性や空間が意識されつづけている舞台では、観客もなぜか引き込まれたり、集中できたりします。この時に客席も含めた劇場空間全体で非日常的な感覚が共有されるのだと私は思います。言葉(台詞)は、舞台の魅力の一つには変わりませんが、意味内容を伝えるものだけではありません。俳優が言葉を使用して目には見えないが確実にある関係性を生み出し、観客を巻き込む空間をつくり出しています。