2025/01/26

フェイクの時代

 インターネットやSNSが当たり前の現代、かつては、個人の日記を不特定多数の人に見せることなどなく、批評や論文も発表する場が限られていたことを思うと、情報に触れる量も質も驚くほど増えています。一方で、この数年特に「フェイク」という言葉も多く耳にしますし、実際、報道にも本当か嘘か分からないような情報も目にします。

何を信じるかはその人次第だとつきつけられているような気分です。

この時代に人は何を軸に生きるべきなのでしょうか。

私は「思考する」という時間をもう一度取り戻さなければならないと感じています。

大学時代に恩師から「学生時分には、論文というのは思考の練習なのだから、できるだけ多くの文献にあたって、何度も自分の考えは本当にそうなのかと問いなさい」と言われていました。

思考する練習をどれだけ習慣づけるかで少なくとも自分の見たいものだけを見るということからは距離を取ることができると思います。

2025/01/19

迷いの時間

やることが多かったり、スピードを求められる現場において、時間をかけずに判断し適切な結果を出している人が社会には一定数います。私はむしろ必要以上に時間をかけて悩んだり考えたりしてしまうため、そういった人たちの「時間をかけない判断力と実行力」に強い憧れを持っています。そもそも、そのような違いは何処から生まれるのでしょうか?

私自身の経験から考えると、その場の状況や周囲とのリアルな関係意識よりもまず「間違うかもしれない」という内部にある不安が先に立ち、結果、判断や決定に時間がかかっているように思います。一方、前者は、そのような内的な不安よりも「スムーズな進行」や「相手や自分にどのような影響を与えたいか」といったリアルな目的とそれに伴う価値判断がはっきりしているように感じます。「迷いの時間」が増えていると感じた時には、自分は何を目的としているのか、という足元をしっかりと固めた成功のイメージを抱くよう心がけてみたいと思います。

2025/01/12

「浮く」話

 MMSTの稽古では、俳優が体の中心となる軸や重心、そしてそれを基にした演技についての考え方がゆるんでしまうことを「浮いている」と言います。浮かないようにするためには、それらへの意識を強く持てば良いことではあるのですが、そう簡単な話でもありません。そもそもなぜ浮いてしまうのでしょうか?

 浮いてしまう大きな原因の一つは、無意識のうちに違うことに気を取られてしまい優先順位が変わってしまうことにあります。特に一度に多くのことをやらなければならない場合に起こりがちです。それはタスクが増えると、できるだけ早く処理するために自身が理解できる見えやすい方から対処してしまうからです。これを回避するには、意識や対処スピードをできるだけ早くし、基点を見失わないスキルが必要になります。そして、私にとって超えなければならない最も厄介な課題は「浮く」ことを恐れずに前に進む強い精神を持つことです。

2025/01/05

相手が何を知らないかという視点

 人に何かを伝える時に、私は相手が持っている情報について、ほとんど意識せずに話をしてしまう時があります。ある時、「そのことは知らないからいきなり言われても分からないよ」と指摘されたことがあります。

「相手が知らないという視点がない」、言われてみれば簡単なことのようなのに、なぜその視点を落としてしまいがちなのか?

自分を振り返ると、相手に伝わっているかどうかよりも、自分の言いたいことの優先度が高くなっている場合に起きていると思います。これは、究極的にほとんど相手が必要ない状態です。自己内省を多く繰り返してきた人は特にその傾向が強くなるのではないでしょうか。聞く相手が自分であるため、前提が「知っている」状態で話がスタートしていることになります。これを改善するには、他者の存在に優位性を持たせる必要があります。他者もそして実は自分のことも「わからない」という前提から考えることに立ち返りたいと思います。

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