2025/10/20

メディアとしての演劇

 2011年におきた東日本大震災ではテレビやラジオに変わってSNSが活躍しました。その後、大衆のコミュニケーションツールとして広く認知されることになり、現代ではなくてはならない社会インフラの一つになっています。公共的なものから個人が何を食べたというパーソナルなものまで、真実と嘘が入り混じった大量の情報が扱われ、私はその洪水の中に流れる「時間」のスピードに圧倒されることがあります。演劇がかつて国や政治を考えるための公共的なメディアの役割を果たしていた時代もありますが、瞬時に世界中と情報を共有できる現代のネットワーク社会において、演劇は時代錯誤のように捉えられているかもしれません。しかし、本当にそうなのでしょうか。私はこうした情報が溢れる時代にこそ、演劇を活用する機会があるのではないかと考えています。それは演劇が扱う「情報」の特殊性に関係しています。演劇は少なくとも一定時間半ば強制的にそこに集る観客と時間と空間を共有し、目には見えないけれども確かに存在するその場の「情報」を扱っていきます。ここで共有されている「今」という感覚、より詳細に述べるならば「私だけのものではない、私の時間」という微妙な感覚は、いつでも自分の都合で切断することができるSNS上の「時間」とは違い、人が社会的な物事を考える上で実はとても重要なものなのではないかと考えています。SNSの便利さが生活を豊かにしていることは確かですが、人間機能を最大に活用することによってはじめて成り立つ「メディアとしての演劇」にも役割はあるのではないでしょうか。

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