「あなたを疑っている」という言葉を直に投げかけられることはあまりないですが、疑われているなという状況に出会うことがあります。たとえば、やたらと注意書きが多い公共スペース。確かに不特定多数の様々な人が利用し、時にはルールを守らない人もいるので、書きたくなる気持ちは分かります。
しかし、一方で「〜しないでください」、「〜してください」の文言が溢れる中で、どれくらいの人が気持ちよく利用できるのだろうと思います。他にも、郊外でよく見かける無人の野菜販売所に監視カメラがついている場合、私は悪いことをするつもりはなくても、何かいたたまれない気持ちになります。そんな私自身、そのつもりはなくても、「疑われている」と思わせる行動をとっていたことが振り返るとあります。「疑う」ことそのものは悪いことだけではないですが、円滑なコミュニケーションを考える時、誰が得をするのかという問いを一度自分に向けようと思います。