2025/02/23

バイタリティ

 「活力、いきいきとした」という意味のバイタリティ。特に日本では、「不屈、逆境に負けない」というニュアンスを含んで使われることが多いと思います。物事を動かすには、エネルギーや強引さが必要な場合が多々あり、この強さがある人を私はバイタリティがあると捉え、魅力を感じます。

 しかし、昨今では、ハラスメント問題も関係してか、強引な人や態度にはブレーキをかけるべきという考え方が増えているそうです。“リスクは極力減らし、無理はしない方が良い。”一方では正当な態度だとは思いますが、今の政治家を見ても責任回避を前提にした議論が散見され、この先に本当に「活力ある」未来があるのか疑問が浮かびます。「諦めない」ことは簡単ではありません。だからこそ価値として認められ、人も惹きつけられるのだと思います。うまくいかない時は安全策を取りたくなりますが、そんな時こそバイタリティという言葉を思い出して実行していきたいです。

2025/02/17

子どもの能力

子どもが描く絵をみると、思い思いの色や形があり、「子どもは感受性が豊か」などと言われます。「こうすべき」という社会規範に縛られておらず、自由で羨ましいと思ったことがある人も多いのではないでしょうか。私は感受性こそが子どもが持つ能力ではないかと思います。 ある人が日本の子どもは義務教育と共に感受性を失う、と悲観していました。 私は、社会の中で生きるためには、ある種のルールとしての「こうすべき」論は仕方がないことだと思います。そして、そのルールに対してどう対処するかがその人の個性に繋がると思います。 「こうすべき」論が子どもの感受性を失わせているというより、時代とともに「こうすべき」への対処の仕方を見せられる大人が減っているのだと思います。 「こうすべき」に対して、全く違う視点で、時には暴力的に切り込み、当たり前に考えていたことは「本当だろうか?」と自問させる芸術家の存在がここで必要になると思います。

2025/02/10

地味なところにこそ

 MMSTの稽古では「台詞を喋る、動く」といった外側から見てわかりやすい部分ではなく、「身体の重心を保って立ち続けること」や「日常とは違う感覚の中で呼吸を続ける」という表面的には認知できないものを重要視します。この見えない部分への自覚的な意識を養うために俳優は訓練を続けなければなりません。スポーツでも音楽でもその他の分野でも、たいてい基礎トレーニングというものがあります。舞台芸術でいえば、バレエのバーレッスンがそれにあたります。プロと呼ばれる人々はこの基礎トレーニングを怠りません。

 この基礎を継続することは地味で退屈です。しかし、ここにどれだけ向き合えるかによって成長の度合いが変わると言われます。地味の語源は、「本質的なものの趣」という説がありますが、物事の本質を捉える為にはこのような地味で退屈な取り組みが必要不可欠なのかもしれません。一流と言われる人々が基礎を重要視する所以はここにあるのではないでしょうか。

2025/02/02

頼もしい先輩像

私は、破茶滅茶な生き方をしている先輩方に出会うと、不思議と元気をもらうことがあります。周りを巻き込んででも物事を動かすバイタリティや実行力に魅了されているのかもしれません。そのような人を“頼もしい”と表現すると思いますが、この“頼もしさ”とはどのようなことを指すのでしょうか。 芸術家でも、経営者でも、政治家でも、世に名を馳せている人は大抵「私はこう考える」だから「こうする」という、「考え」と「行動」とが一つの連続性をもって働いているように感じます。MMSTの日々の稽古で言えば、「意識」と「身体」ということになりますが、「考える」ことと「身体を動かす」ことを関係付けて扱うことは実は容易なことではありません。私が頼もしいと感じるのは、諸先輩方が「思考」と「行動」とをなんとか一致させてきた実践的な連続性の輪に、一瞬でも触れているように感じた時なのかもしれません。

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