2025/08/25

台湾のパワフルさ

 この数年様々な出会いが繋がり、台湾の劇団との交流や台湾の演出家、俳優らと一緒に一つの舞台をつくりあげる共同制作をおこなうことが続いています。その一つ、韓国、台湾、日本の3カ国を中心に運営している国際交流事業「EATI」のプロジェクトが今年は台湾の桃園市で開催されています。その国や土地によって生活スタイルや文化、価値観に違いがあるのは当然ですが、私は、ここ数年、台湾の演劇関係者に出会う中で、生活レベルにおいて、彼らの感覚と日本人との違いは実はそれほど大きくないのではないかと思っていました。しかし、実際に台湾の地を訪れると、気がつけば台湾人に対し、パワフルな印象を受けていました。このパワフルな感覚はどこからくるのでしょうか。台湾人と話をする際、世界情勢や政治の話になると雰囲気が一変することがあります。特に中国との関係は複雑で、国民の中にも様々な立場や考え方があり、台湾人同士といえど時に口論になっているほどです。これはある一定の世代に限ったことではなく、若い世代と話しても同様に、国の立場としての危機感を聞きます。あまり考えたくはないことですが、「戦争になったら」という話がリアリティを持って話される時、日本人として平和ボケだと言われてしまう理由を突きつけられるようです。台湾の選挙の投票率が高いことは日本でも有名なことですが、実際に台湾人の20代と話しても「国を変えるんだ」という意識が強い人が多く、自分の周辺だけを考えがちな私自身は恥ずかしく思うことがあります。実質的な世界情勢の中ででてくるものだとしても、「自分の国をどうしていくか?」という視点を老若男女問わず、それぞれが考えているというのは日本と圧倒的に違うところではないでしょうか。この国を自分たちがどうしていくかという大きな視点と感覚は、「大人」のあり方であり、それを実現するためのエネルギーがパワフルさを感じさせる要因かもしれません。私は国粋主義に走ることには懐疑的ですが、自分や自分の周囲だけにとどまらない責任感を私たちももっと意識するべきだろうと思います。

2025/08/18

度胸と大きな視点

「度胸はあった方がいい」

 私は度胸があることは良いことだと疑いもなく思っていました。たとえ困難な状況にあってもひるまずに対応できるなど、一般的に良いニュアンスとして使われることが多いためだと思います。ただ、深く考えてみれば、単純に度胸があるなしということではなく、どういう状況において「度胸があることが良いのか」を考えることが重要なのではないかと思うようになりました。ある演劇の現場で、自分のことだけでなく周囲がどうなっているのかを感受できる大きな視点を持たなければならないという話が持ち上がりました。「今ここに必要な人はどんな人か?」を考えて行動できる広い視野が問われるということです。度胸があるというのは、このように「ここでは落ち着いて行動する人物が必要とされている」、「困難な状況にあって堂々とする人がいることで周囲に安心感を与えられるかもしれない」という「必要性」に応えて振る舞えたかどうか、が重要なのではないでしょうか。「自分がどうしたい」や「他人にどうみられたか」と言った自己完結的で狭量な視野は「子ども」と言わざるを得ず、他者との関係における「必要」を感じ取り、時に度胸のある振る舞いをとれるのが「大人」なのだと思います。

2025/08/12

怖さと行動

世の中には、思いついたら即行動するタイプと、吟味してある程度自分の中で道筋が見えてから行動するタイプがいると思います。私自身は後者のタイプですが、以前、MMST代表から、「その自分の中で整理してから」という行程は果たして必要なのか?と問われたことがあります。当時の私は、事前の計画性は必要不可欠で、むしろ思いつきで行動する方がまずいのでは、とさえ考えていました。頭の回る方はお気づきかもしれませんが、先の問いは、事前の計画性がいらないとは言っていないのです。おそらく即行動して結果が出せるタイプの人は行動とともに計画をし、その時々で生じた問題についてはその都度対処している、ということなのだと思います。MMSTの稽古でも「落ち着いて頭で把握する余裕をもつと、かえって余計なことまで考えてしまい対処が遅くなる」と指摘されます。私の躓きを振り返ると、躊躇したり、一旦立ち止まって考えたくなってしまう原因は、先の見えない「怖さ」だったのではないかと考えるに至りました。あれこれ考えず、思い切って実行に移してみれば「怖さ」自体が無化され意識されなくなるという経験を何度もしてきました。「行動する中で考える」という「現実」を引き受けることで、怖さという「幻想」を取り払うことができるのではないかと思います。

2025/08/04

「私は悪くない」は誰を守るのか

 以前、あるプロジェクトを進めている中で、関係者から進行状況について確認をされたことがあります。ただの確認であったにも関わらず、進行が少し遅れて余裕のなかった私は「責められている」ように感じ、言い訳めいたトンチンカンな回答をしてしまいました。当然相手からは、なぜそんな回答になるのかと不満を持たれ、途端に恥ずかしくなりました。咄嗟に言い訳をしてしまったのは何故だったのでしょう。どこかに「私は悪くない」と言いたい気持ちがあったのではないかと思います。「私は悪くない」という態度は、子どもにしばしば見られますが、それは「自分を守りたい」という心理からくるものだと考えていました。しかし、大人になって先のような例を考えてみると、そもそも自分を守っていることになるのか疑問が湧きます。私の言動によって少なくとも相手にはかえって不安や不満を与えており、自分を守るどころか自分の価値を咎める方向になってしまうのではないでしょうか。これは「守る」の範囲が関係するのではないかと私は考えています。例えば、上の世代の経営者から現役世代の我々に対して「覚悟が弱い」とよく指摘されます。この「覚悟」とは、単にこうするんだという独我的な自己欲求というよりは、どれくらい「周囲への影響を引き受けるか」ということなのではないでしょうか。「私(だけ)を守る」という小さな視点ではなく、「私(に関係するもの)を守る」という視点が重要であり、自らの行動や言葉が指す範囲を拡げていくことが「私は悪くない」という子どもの思考から抜け出す唯一の方法なのだと思います。


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