2025/09/16

逃げたい理屈づくりの怖さ

 今夏剣道の小中学生の全国大会の運営の一部を手伝うことがありました。大会中の武道館の通路の隅で試合後の子どもに、監督が「逃げるな」と檄を飛ばしていました。通りすがりざまのことで、具体的な状況についてはわかりませんが、MMST代表もかつて剣道の経験があり、この「逃げる」「逃げない」の話は頻繁に話に出るため、剣道の世界では「逃げてはいけない」というのは当たり前の話なのだろうと思います。日本では、通念上、「逃げてはいけない」という考え方がありますが、近年、いじめやハラスメントの問題を鑑みて、「逃げる」ことを推奨する考え方も高まってきているように思います。現実の中で追い込まれてしまうくらいならば「逃げた方がよい」という考え方があることは理解できますが、逃げることが逆に問題を深刻化させてしまう側面も考える必要があると思います。「逃げること」が癖になり、一度逃げてしまうと逃げることが常態化するという悪循環に陥る傾向がある為です。MMST稽古では、「逃げない」状況を自分でいかにつくり出せるかが問われ、それを稽古の中で実践、鍛錬していきます。人は、都合の悪いことや逃げたいことが出た時、それをやらない理屈を考えがちです。しかし、実際は、そこでやりたくないこと、怖いと思うことをやらない理由を考えて許されるのは子どもだけです。大人になればなるほど、また、「逃げてはいけない」という心理が働くほど、その理屈の付け方が精巧になり、実際は逃げている状況にもかかわらず、「それは仕方がないこと」にして、「逃げ」をわかりづらくします。最近私がこの逃げるための理屈の話において、怖さを感じたのは、「もっともらしい理屈」を積み重ねるうちに、自分自身でも「逃げている」という感覚に気づけなくなってしまうということです。冒頭の剣道の子どもたちに習えば、やはり「逃げること」は強くなるための足枷になるのではないかと思います。人は問題から逃げずに対処することで成長するのでしょうし、単純にそれまでできなかったことをできるようにするというプロセスのためには「逃げない」選択肢をとるしかないと思います。私はやらないための理屈を考えて「仕方ない」と言い続ける人生よりは、怖くてもなんとか対応する人生を選びたいと思います。

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