今年の5月まで、足掛け3年で14回実施したMMSTheaterというトークイベントにおいて、歴史に名を残す世界的な演劇人を取り上げ、ゲストと共にその功績について討論しました。彼らが常に「世界」を意識して活動していたわけではないと思いますが、時代の規範や価値観、問題意識に対してどのように対峙し、創作によって応答していたか、という自らが生きている世界との切実な「格闘」のようなものが、時代を経ても未だに多くの人に感銘を与えている要因なのではないかと思います。MMSTでもこれまで何度か韓国や台湾など国外で作品を上演する機会がありましたが、それぞれの国の文化や価値観に違いがあることを前提に観客がどのように作品を観るのか、ということを意識せざるを得ませんでした。現在EATIという東アジア3カ国での共同制作プログラムが台湾で開催されていますが、各国から参加した演出家や俳優もまた言葉や文化の異なる人々との創作を通じて自らの立ち位置を意識せざるを得ない環境に置かれています。約3週間にわたる滞在でチーム内の関係は深まりますが、公演では観客と作品を共有する為、いわゆる「内輪」ではない外部を意識する必要があります。国内であっても海外であってもその構図は変わりませんが、海外ではより明確に「共有できない価値」が意識されることになりますので「共有できない多数の価値観に影響を与える」という外部意識に集中力を傾けられるかということがよりシビアに問われます。国を超える意識とは、分かり合えないかもしれない価値観や思想を前提に新たな関係を築こうと試みる越境精神であり、その際、見えないものを実感として扱える、という演劇の特質が非常に有効に働くのではないかと考えています。かつて、MMST代表は、国際交流事業に参加した際「交流はできない」というところからはじめなければならないと関係者に話しました。食事や飲み会で仲良くなるという交流ではなく、創作を通じて、共に見えないものと対峙し、繋がらないものを繋げていくことが「演劇的な交流」であり、そのような意識の中で国際的に活躍する人材の育成も考える必要があるのではないでしょうか。