2025/12/15

グローバル社会における情報とはなにか

 インターネットが当たり前になり、あらゆる情報を瞬時にやりとりできる時代、情報の価値はどんどんわかりづらくなってきています。さらには、AIの進化により、実際にはないはずのものがリアルに画像や動画として生成されたり、何が本当なのか簡単にはわからない世界に突入していることに不安を感じる人も少なくないと思います。現在のグローバル化された社会において、「情報」とは何なのでしょうか。

知識や様々な数的データ、文化、言語、コミュニケーションetc。一般的に言われるこうした情報は、インターネットの発達によって国や地域を超えて交換が容易になり、人間社会を便利にしていますし、そのこと自体は豊かだと言えるかもしれません。一方で、この情報が肥大化されて、実際にはあるにもかかわらず見えなくなっている「情報」もあるはずです。この見えなくなっている「情報」をもう少し注意深くみる必要があるのではないでしょうか。

最近MMSTの代表は、時制感覚についてよく言及します。過去、現在、未来という時制について、現代人は、“今”という現在性よりも過去や未来への意識配分が大きいために現実に起こっている実態を掴み損ねてしまうのではないかということです。インターネットをはじめ、交通、物流などの技術発展は目覚ましく、物理的にも日常生活の速度が早まっていることを思えば、私たちは「今」を捉えることが難しくなっているのではないでしょうか。先日、私はある恩師からの手紙を読み返すことがあり、あらためて、この「今」と「情報」についてリンクすることがありました。手紙の言葉がその人の「身体的な手の動き」と「伝えようとする情報」との連動の中で書かれていたこと、そして読み手側も筆跡やその強弱から言葉だけでなくその感覚までも読み取れていたことを思うと、人間が受け取る情報の幅は思う以上に広く、ここに重要な価値を見出せるのではないかと思います。演劇とは、この見えないが確かにある「情報」を扱うものであり、そこに「豊かさ」があるのではないでしょうか。

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