2025/12/22

コロナ後の演劇

 2020年に世界規模で蔓延した新型コロナウイルスは、感染予防の為とは言え、人と人との物理的距離を強制的に引き離し、個別化を加速したと言われています。「集まる」ことが前提となる舞台芸術業界への影響は甚大であり、あらゆる公演・イベントが中止を余儀なくされました。オンラインツールを活用しての新しい表現方法が模索されたりもしましたが、自粛傾向にあった数年の間に「集まる」必要性自体を感じなくなった人も多く、演劇をやめてしまった人も少なくありません。コロナ問題は落ち着きましたが、文化に限らず社会生活においても「集う」意識と必要性は回復せず、むしろかつてに比べて弱くなってしまったように感じています。こうした傾向の中、演劇をやる意味、価値とは一体なんなのでしょうか。

 私が以前ある組織に属していた際「空間を共有することの意味」について考えさせられる経験をしたことがあります。そこでは、スタッフ全員が参加する会議が定期的に開かれ、情報共有や業務の進捗確認などが行われていました。しかし、新型コロナの発生により顔を合わせること自体が自粛傾向になり、非接触なグループチャットでのやりとりにシフトしていくことになりました。当初は気にもとめませんでしたが、しばらくたつと組織内がぎくしゃくし出し、それまでにはなかった他部署への不信感を募らせるスタッフまで出たほどです。「情報」としては、リアルな会議と同様グループチャット上で丁寧に共有されていましたが、相手に対しての確認を必要以上に重く受け止めたり、逆に軽んじられたと感じてしまうというような小さなすれ違いが生まれるようになりました。情報の正確性だけではなく、空間を共有することで相手の状況というものを様々な角度から察知しているということを改めて認識し、何より顔を合わせるということがコミュニケーションの質には重要なのだということを感じさせられた経験でした。

 私はこのような「空間共有」が演劇の大きな特性であり価値だと思っています。人間はリアルに誰かと出会い五感をフル活用することで、目に見える動作や言葉の意味以上のものを受け取りコミュニケーションを繋いでいます。コロナ禍、未知のウイルスへの不安から、とにかく人との接触はリスクということになりました。さらに、近年躍進しているAIは、その技術が高まれば高まるほど「真実」への疑いが増大していくという悲劇的な側面をもったテクノロジーでもあります。本当かどうかもわからない言葉や画が増えていくことは、リアリティへの不信感を生み出すことにもなってしまうのです。私は、このような進化の先に、むしろ「リアルへの欲求」が高まることになるのではないかと思っています。コロナ禍に人類が失いかけたものを再発見するには演劇の特性と価値が意味をもつのではないかと考えています。

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