作品と観客とが出会う時、どのような出会い方が社会にとって意味のある出会いになるのか、制作者というポジションに立つ私にいつも重圧のようにのしかかる課題の一つです。作品の内容にしても、広報にしても「わかりやすさ」が求められ、その方が多くのお客さんに届けられるので良い、という価値観が世間には根強く存在します。私自身も実際に公演に向けて多くのことが走り出すと目の前の現実への焦りから、「わかりやすさ」の呪縛に足をすくわれそうになることもあります。某有名俳優があるインタビューにおいて、「演技にしても宣伝にしても『わかりやすさ』を提供しようとする人がいるが、それは観客のことを考慮しているというよりむしろ『見下している』ことになるのではないか」という趣旨のことを話していました。勝手な想像で、このように宣伝した方が「伝わるだろう」と考えることは、本来出会うべき観客を逆に遠ざけてしまうことになるのではないでしょうか。これもある起業家が話していたことですが、商品を売る時に意識することとして、「その商品が生活の中のどのようなシーンで必要となるかをよく考えてみる」とおっしゃっていました。売りたいと思う商品の性能やデザインなど「良いところをどうアピールするか」ではなく、その商品が実際にどう必要となるのかを理想的に考えてみるということです。この過程は、社会との出会い方を考える上で必要なことだと私は思います。「作品の内容から親和性のある属性の人にアピールすればいい」というマーケティング手法によって受け手の志向を限定するのではなく、あくまで「どのような出会いが必要とされるべきなのか」という理想を掲げ、結果そこに反応する人が出てくるというのがシンプルに開かれた良い出会い方なのではないでしょうか。世界中には様々な価値観や背景をもつ「まだ見ぬ観客」が存在します。それら全ての観客との出会いを生むことは現実的には難しいですが、あらゆる情報発信の選択肢が溢れる現代において、こだわるならば「出会い方の質」であり、制作者としてその実現化に対して粘っていきたいと思います。