2026/01/18

虚栄と共栄

 10年以上前のことですが、東南アジアの某アートカンパニーから、知人を介して「MMSTに相談したい」と連絡がきたことがあります。当時韓国や台湾の演劇関係者との交流が増えてきたところでしたので、何か新たなネットワークが広がるならばと会うことになりました。軽く自己紹介を交わした後、相手方が怒涛のように自身の過去のパフォーマンスの経歴や最近取り組んでいるプロジェクトのことなどを話しはじめました。その後もしばらく話を聞きましたが、自己PRが続くばかりで、一向に相談めいた話はありません。思い切って相談内容について切り出すと、MMSTとのコラボレーションを望んでいるという話でした。しかし、そこからどう話をしてもMMSTというカンパニー自体への興味も薄く、コラボレーションをしたいというよりも、制作やプロデューサー的なポジションのスタッフがほしいという話にしか捉えきれませんでした。正直に言ってしまえば、「これはきつい」と思いましたが、それとともに、私自身も実は同じようなことを他所でやってしまっているのではないか、と一気に背筋が冷えました。作品を売り込まなければならない、という場や状況にある時、私は、自分たちをどう見せるか、どうやったら評価してもらえるかなどを考えてしまいがちです。しかし、外側を大きく見せて評価をしてもらえたとしてそれが何になるのでしょうか。ましてや相手にとって何の有益性が生まれるのでしょうか。私自身も先の例を反面教師として意識すべき事項の一つになりました。その後、私はあるラジオ番組で、「共栄」的美学をもつ人がアメリカの実業家たちの中に多いという話を聞きました。宗教的背景から、寄付の精神が根付いているアメリカらしい話だと思います。少し前の世代の日本の起業家たちにも当たり前にある美学だったのだろうと思いますが、いつしか、「自分に余裕がないと他者を幸せにできないのだから、まずは自分のことを考えた方が良い」と言った考え方が常識として拡がっているように思います。個人の利益だけでなく、社会全体の利益や、他者が協力し合い発展する「共栄」は、競争社会を否定するものでも、偏った平等論でもなく、むしろ社会にとって健康的な考え方なのではないでしょうか。国を超えて付き合う関係者も少しずつ増えてきている今、一社会人として、あらためて「共栄」精神を忘れずに取り組もうと思います。

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