2026/05/11

演劇作品の質 〜反復によって固められた退屈な時間〜

 演劇にあまり馴染みのない人からすれば、演劇公演では再現性が重要だと思う観客が多いかもしれません。観客だけでなく、演劇関係者の中でも、いかに台詞や段取りを間違えずに再現できるかを追い求めている人も少なくないと思います。実際、特に俳優は公演に至るまでに多くの時間をかけて稽古を重ね、何度となく同じ台詞や動き、出演者らとのやりとりを体に染み込ませていきます。私はかつて俳優もテクニカルスタッフも公演でも練習と同じように再現できることがプロフェッショナルな仕事なのだと漠然と考えていました。ところが、MMSTの稽古に初めて参加した頃、演出家が「俳優は時間と空間をつくることが仕事である」こと、「瞬間瞬間を生きる」という趣旨の話をしているのを聞き、理屈ではわかる気がするものの実際にはどういうことなのか困惑したことを覚えています。約10年ほど前になりますが、MMSTがとあるプロジェクトに参加して演劇系の大学に通う学生らと共に演劇作品を創ったことがありました。稽古中、学生の一人が語るモノローグのシーンで1時間以上停滞したことがありました。彼女は不真面目というわけではなく、何度も同じ台詞を同じように語りましたが、演出からはそこにむしろNGが出続けます。演出曰く「覚えてきた台詞のリズムを繰り返しているに過ぎない」とのことでした。立ち会っていた私も、その時演出の指摘がいまいちよくわからないまま、ひたすら繰り返される光景が苦痛の時間となっていきました。その重い時間なか、その学生がそれまでとは違う言葉を発した瞬間がありました。それまで繰り返された音とは確かに違う「聞こえる」言葉でした。その時に初めて演出が「そうだ」と言い、ようやく次のシーンへと進みました。この時、「今」という時間と空間の中で「必要な言葉」というものがあるのだということを体感的に知る機会になりました。俳優は台詞を覚えなければならないものの、それを知らず知らずにリズムとして覚えてしまうと実際に舞台上で必要とされる時間と空間とは関係ない言葉として発せられてしまいます。それらはただの段取りにしかなりません。台詞を完璧に覚えること自体に意味はないことは明らかですが、特に日本の演劇教育の乏しさ故か、台詞を間違えずに言うことに優先度が高くなることがしばしばあるようです。何度となく創作を共にしている韓国俳優らはこの前提が全く違います。初めて彼らと共同制作をおこなった際に練習期間中も毎回台詞や段取りは同じにも関わらず、確実に違う時間と空間を立ち上げていることを目の当たりにして、とても驚きました。毎回違う作品をみるかのような練習にワクワクさせられました。彼らの作品創作の前提は「同じことがない」ということにあるのかもしれません。そのような「今」という時間と空間と対峙するために反復練習をおこなうということなのだと思います。プロのスポーツ選手が練習を欠かさないことと同様に、作品の質を上げるためには反復練習は必須であるということは明らかだと思いますが、それは間違わないために固めるためのものではないということを先の例の学生や韓国俳優との取り組みのなかで気付かされました。これは演劇にとって極めて重要なことなんだと思います。

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