ロシアの劇作家、チェーホフの短編喜劇『結婚申込』は、2023年に当団体が開催した夏のワークショップにおいて創作作品として取り上げたこともあり、私にとって思い出深い作品の一つです。この作品は、隣人の娘に結婚申し込みに来た男が、相手の娘と土地所有を巡って口論になり、諍いが拡大していくという内容です。喜劇として描かれている作品ですが、昨今の世界情勢を思うと笑ってばかりもいられない複雑な心境になります。領土問題は人類が長い歴史において幾度も繰り返してきた問題ですが、『サピエンス全史』を書いたユヴァル・ノア・ハラリによれば、人類が定住し農耕を始めたことで小麦のストックが始まり、そこに格差が生まれたことが「争い」の起源であると述べています。「所有」が争いを生むという人間の特性をチェーホフはよく捉えていたのではないでしょうか。実際に私たちが行った上演では韓国人俳優と日本人俳優が混在して行われましたので、「争い」と「和解」の繰り返しが妙なリアリティーを生む上演になっていました。私はここに演劇というものの豊かさがあるように考えています。演劇史を振り返れば、時代や国も違う人間がそれぞれの時代や場所において、あらゆる工夫をして生きてきました。私たちはその先人の「工夫」を「今を生きる」ということに活用できないだろうか、そして、演劇がその工夫を実感として扱うことに最も適しているのではないでしょうか。原作では、結婚しても争いが続くであろうことがほのめかされつつ、このカップルの間にはいる父親の皮肉な祝杯で幕を閉じます。中東やウクライナといった場所で生じている「争い」の中で私たちはどのような「祝杯」を生むことができるのか。今こそ、ロシア人であるチェーホフの「工夫」を活用できるのではないかと私は考えています。