現実はつきつけてくる。日々起こる様々な現実に負け、このブログをしばらく継続することができませんでした。どんなに言い訳をしても、継続できなかったことが「現実」やることを減らしたり確認できる範囲までスピードを落とした方がうまくできるというのは幻想だ、とMMST代表がよく言う話です。実はやることが多い人の方が判断力も早く、進め方にも工夫があり結果的に良いパフォーマンスをするということなのだそうで、現実的にそうなのだろうと周囲をみても思います。さて、中断して何をしていたかというと、EATIという韓国・台湾・日本の3ヵ国で連携しておこなう国際交流プログラムに関わっていました。約2週間の滞在創作と公演、3ヵ国から参加した演出家と俳優たちとは日々寝食を共にしながら作品のことや生活のこと、様々な観点で「交流」をおこないました。今はAIが非常に発達しているおかげで、言語はほとんどといって良いほどにフォローしてくれます。しかしながら、単純に言語が通じればうまく交流できるかと言えば、やはり人間同士、一緒に生活する中では思いもよらない「現実」が日々おこるものだとしみじみと感じた2週間でした。当初、些細な行き違いは国や文化的価値観の違いによるものだと思っていました。しかし、よく考えれば同じ日本人同士でさえ生きてきた環境も年代も違うのですから、そういう他人同士が共に生活をすれば何かしら問題が出てきても不思議はありません。創作過程をみていても、言語の壁はもちろん、それぞれの方法論や経験、技術などの違いは時折中断を余儀なくされます。それでも、その違いを超え、一つの作品づくりを通して他者を理解する、ここに「交流」の意義があるとあらためて感じました。確かに、共に生活し、お酒を交わしながらお互いの文化から個人のことまで話をすればある程度仲も良くなります。そこで仲良くなるだけなら、わざわざ「創作」を中心に据える必要はありません。しかし、このEATIがわざわざ「創作」を通じる「交流」をおこなうのは、他者とともに悩み、考え、見えないけれども確かにある時間と空間をつくろうとする、そのことこそが「交流」だと考えるからです。今回短い期間ながらあちこちで中断してしまいそうな危機は大小度々起こりました。しかしその度にそれぞれのセクションで解決の糸口を探り再開して最後まで粘り通していました。一度中断すると再開するのにはなかなか骨が折れますが、他者との交流でも「途絶えたら終わり」ではなく何度でも再開して交流を続けお互いを知るという粘り強さは今後の社会情勢を見ても益々必要な態度なのだろうと思います。無理矢理ですが、関連づけるならばこのブログも粘り強く継続していこうと思います。