2026/05/31

制作?プロデューサー?お母さん?

 映画やドラマ、音楽などの分野において、企画の立ち上げ、資金調達、出演者や各スタッフとの調整、予算やスケジュールの管理などを担う役割の人は、一般的に「プロデューサー」と言われています。舞台芸術分野でも同様ですが、日本の舞台芸術の中でも特に小劇場業界では「制作者」と呼ぶことが多いのではないでしょうか。役割としてはほとんど「プロデューサー」ですが、カンパニーによっては役割や責任を細分化しているために、「プロデューサー」という言葉をあえて使わないというところもあると聞きます。私が小劇場業界に入ってまだ間もない頃、ある先輩制作者から「制作者ってお母さんみたいなものだよね」と言われたことがあります。確かに、全体的な進行管理を意識しながら場合によっては各所で関係者をけしかけたり、公演時には裏では食事の手配、表では観客のために右往左往し、時には俳優の悩みまで聞く先輩制作者を見ていると、お母さんと称されるのも納得がいきます。私自身、しばらくそれが日本における「制作者」のあるべき姿なのだろうと思っていました。しかし、韓国との交流事業をおこなった時のことです。通常の公演時のように昼食のお弁当を用意していると、お弁当を取りにきた韓国俳優が私にお弁当を用意してくれたことの感謝とともに「あなたは食べたんですか?」と聞いてきました。まだ食べていないと答えると「ではまずあなたが選んでください」と言われました。当時制作者の立場では、お弁当はその公演に関わる全ての関係者に渡った最後に手に取るべきという暗黙の了解があったため、とても驚いたのを覚えています。 その俳優が特別に気を遣うタイプの俳優なのだろうと思ったのですが、その後、別の韓国俳優とも全て同じ問答を繰り返すことになりました。韓国人の配慮はすごいななどと思い、その感動を韓国側の制作者(韓国では一般的にプロデューサーというようです)に話したところ「プロデューサーだってプロジェクトの一員として同じ立場なんだから当然でしょう。なぜ感動するのか。」と不思議な顔をして言われました。 その時、私は「同じ立場」ということをどこかで忘れてしまっていたのだと反省しました。もちろん、これは「制作者もお弁当を率先して取るべき」などという話ではありません。制作者でもプロデューサーでも、あくまで、作品のために自分はどのような役割を引き受け、責任を持って遂行するかという意識の持ち方なのだということをあらためて考えさせられました。「集団で作品を作る」ということは、その為に必要なことへの意識が共有され、その中で自分がどの役割を引き受けるのか、そしてそれはそれ以外の役割を引き受けている人や仕事に対する敬意と共に進めるということなのではないでしょうか。以来私は制作者も創作の一員である、として責任による緊張感は高まるものの、胸を張って業務に取り組むようになりました。これは舞台芸術にとって非常に重要なことなのではないでしょうか。

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